【天才は孤独か】巨人の肩の上に乗ることで見える世界
- 見えなかった「何か」の存在を認識できると、世界が一変する
- 現代のレバレッジ、インターネットやSNSを使いこなす
- 巨人の肩に乗って世界を見よう
- 狂っているのは「私(あなた)」か「世界」か
- 孤独感の正体を突きとめる
- これからの人類の行方
見えなかった「何か」の存在を認識できると、世界が一変する
ゲームにはルールがあり、さらには攻略法や定石といわれるものがあったりします。
当たり前ですが、ゲームに参加させられていることに気が付かなければ、ゲームに勝てません。
そして、ゲームのルールを知らない人はルールを知る人に勝てません。
さらに、ルールだけしか知らない人は、攻略法を知っている人や実戦演習を重ねた人には勝てないのです。
- ゲームに参加させられていることを認識すること
- ルールと攻略法を知ること
これらを行えば、見える世界は一変します。
上の図でいうと、「知識の壁」の超えない限り、壁の向こう側にいる相手からの攻撃を知覚できないのです。
【おまけ】ジョジョの奇妙な冒険で例えてみる
ジョジョの奇妙な冒険の第3部では、主人公の承太郎が「時を止める能力」を持った宿敵DIOに立ち向かいます。
当たり前ですが、主人公たちは時を止められたうえで攻撃をされるため「何をされたのか わからなかった…」(通称ポルナレフ状態)といった感想を抱きます。
戦いのうちに、DIOが時を止めているということに気づき(知識の壁を超える)、承太郎は自分にも同じことができるのではないかと考え「時の止まった世界」に自らも入門することで、DIOに一撃入れることができるようになるのです。
つまり、承太郎は、
- 時が止まった世界があるということを知り、
- 自分もできるのではないかとやってみて、
- 時の止め方がわかり、
- ここぞというときに時をとめることができたのです。
上の図と照らし合わせながら読んでみるとわかりやすいと思います。
他のマンガでは、ドラゴンボールのセル編で
「できる」状態の超サイヤ人を、
「している」レベルに持っていくための修行をしていますね。
孫悟空「これからは寝るときいがいはなるべくいつも超サイヤ人でいて それがあたりまえの状態にもっていくんだ
…まずは超サイヤ人になったときの落ちつかない気分を消すことからはじめたほうがいい…
そのあと基本的な修行からやりなおそう
遠回りなようだけど それがいちばんだとオラはおもう」
現代のレバレッジ、インターネットやSNSを使いこなす
私は20歳を過ぎてから、レベルがぐんぐんと上がるようになった気がします。
それはなぜかと言うと、「自分は知らない壁の向こうから、常に見えない攻撃を受けている」という自覚を持ったということが挙げられますが、
1番はインターネットをより使いこなせるようになったことが要因の一つであると思います。
「地球を冒険するには遅すぎ、
宇宙を冒険するには早すぎる時代に生まれた我々だが、
SNS誕生という瞬間に立ち会うことができた。
生きるとはなんと素晴らしきか…」
私はこの時代に生まれたおかげで、大きな幸運と、大きな苦悩を抱えることができました。
無限に広がる世界に夢を持つと同時に、自分の小ささを知るわけです。
リアルの世界では、実際に会って話ができる人間の量と質には限りがあります。
インターネットやSNSでは、
- 「自分より頭の良い人」
- 「自分より先を行っている人」
- 「自分が知らないことを知っている人」
を知りえるきっかけが多く存在するのです。
(頭の良い人って…陳腐な表現となってしまいましたがご容赦ください。)
SNSが発達する以前でも、書籍が店舗に並ぶレベルの人の思考や経験なら、その書籍を通して垣間見ることができました。
しかしこれの何が問題かというと、
- 「自分のレベルが低すぎて著者の話を理解しきれない」
- 「著者のレベルが高すぎて真似ることのできない」
- 「成功者自身に過程を語らせても、そこには大きな生存者バイアスがある」
といった場合が多々あるということです。
一般ピープルである自分と、本を出せるレベルの成功者との間の空白地帯が大きすぎるのです。
本の著者も、初めから大きな成功を収めたわけではないでしょう。
そこに至るための過程(行動・成功・失敗)があるはずです。
「成功してから過程を語ってもらえばいい」と思うかもしれませんが、そこには確実に生存者バイアスがかかり、実態からは少し離れたお話となってしまうでしょう。
本を書くぐらいの成功を収めた結果だけではなく、私が本当に知りたい情報はその間の話。
自分が理解できる上限ぎりぎりの、一足先を行くメンターや心の師匠が何を考え何をしているのかや、将来的に大成功する人間のリアルな道程を、何の脚色もないリアルタイムで知りたいのです。
それに、成功した人が必ず本を書いてくれるとも限りません。
それを叶えてくれたのが、SNSをはじめとするインターネットを媒体としたコンテンツでした。
今の自分が理解できる上限ぎりぎりの情報、これを追い続けることが凡人を成功に導くとっかかりになると信じています。
「巨人の肩に乗る」 という格言があります。
巨人の肩に乗って世界を見よう
「巨人の肩に乗る」…この言葉の意味するところは、
「先人の積み重ねた発見に基づいて新しい発見をすること」です。
アイザック・ニュートンは手紙の中で「私が彼方を見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからである。(If I have seen further it is by standing on the shoulders of Giants.)」と書いています。
インターネットという巨人の肩に乗せていただいたおかげで、私はそれまでの時代では考えられないような速度で成長できたと思います。
たくさんの、目には見えない知るべき仕組み(ゲーム)があることに気が付き、そのルールを知ることができたからです。
もっと高くから世界を見たい…!
そう思っていた時、一つの疑問が浮かびました。
「誰よりも、天才が孤独なのではないか?」ということです。
たとえば、一緒にゲームをしていて、あーだこーだ言い合える友達がいると楽しいですよね?
その環境の前提は、お互いがそのゲームの存在やルールを知っていることです。実力が拮抗していたりするとなお面白いと思います。
しかし、ルールを知る者が少ない世界へ行けば行くほど、周りの人間と会話が通じなくなっていくのです。
狂っているのは「私(あなた)」か「世界」か
最近読んだ本に、面白いあとがきがありました。
紹介させてください。
あなたは、ある種の力を手に入れたのだ。
あなたには、普通の人に見えないものが、見えるようになった。世界を形作る錯覚の骨格が見えるようになったのだ。
(中略)
あなたが、さまざまな幸運をつかむようになっても、
人々は、なぜ、あなたが突然、幸運に恵まれるようになったのか、
不思議にさえ思わないだろう。
(中略)
理解していない者たちには、なにがあなたに幸運をもたらしているか、理解できないからだ。
あなたは、今や、人間が錯覚に酔って、正常な判断ができなくなっているということを知った。
人間は、酔ったまま生まれ、酔ったまま育ち、酔ったまま恋をし、酔ったまま子をなし、酔ったまま育て、そして酔ったまま死んでいく。
彼らの多くは、めったにしらふにならない。
この本を読むのは、せいぜい10万人だろう。
1億人の中の10万人。
千人に1人だ。
あなたの周囲は、世界が錯覚でできていることを知らぬまま生きる人間の群れで満たされることになる。
だから、あなたは孤独になるだろう。
酔った人間の群れの中で、あなただけがしらふなのだ。
狂気の人間の群れの中で、あなただけが正気なのだ。
目をつむった人間の群れの中で、あなただけが目を開けているのだ。
夢を見ている人間の群れの中で、あなただけが覚醒しているのだ。
これ以上の孤独があるだろうか。
狂気の人間に対して、「あなたは狂っている」と言っても、通じないだろう。
狂っている人間は、自分が狂っているとは思っていないからだ。
夢の中にいる人間は、自分が夢を見ていることに、気がつかないからだ。
(中略)
本書は、知識や情報を伝える本ではない。
本書は、ある特殊な体験をするための装置なのだ。
その体験は、よくも悪くも、人間を変質させてしまう。
この本を読んだ人間は、ある種の異能者になってしまうのだ。
(引用:人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている ふろむだ)
私は様々な世の中のルールを覚えていくうちに、本音で深く楽しく語り合うことができるリアルの友人は、片手で数えられるくらいにまで減ってしまいました…
もちろん会社の先輩や同僚と話をしたりするのは、なかなかに楽しい時間です。
しかしそれは、「新しく学んだコミュニケーションテクを試してみよ!」という思惑や、
「快適に仕事をするための環境づくり(マインクラフト的な楽しさ)」が目的となっており、仲間だとか友人と呼べる人間と共に過ごす楽しさとは別物です。
もともと内向的で、1人が大好きな私でも時々孤独感を感じるというのに、
私が尊敬するような「頭のいい人」たちは、この孤独感とどのように向き合っているのでしょうか。
ふと気になったのでした。
孤独感の正体を突きとめる
孤独というものには、マズローの欲求段階説のようにいくつかの段階に分かれていると思われます。
- 誰かに話したいけど話せないという物理的孤独
- 周りの人間に理解が得られない事から生じる認知差による孤独
です。
周りとの認知差というのは環境により中和されるものもありますが、イデオロギー的に一切解消されないものもあると思ってます。
感覚の差にストレスを感じつつも一生折り合いをつけて行かなければいけないものでしょう。
認知を合わせるには多大なストレスがかかりますが。
これからの人類の行方
税の知識や、資本論や「r>g」といった基本知識を知らないせいで「はたらけどたらけど、豊かにならないなぁ…国が悪いのかな?」と斜め上の原因を見つけてみたり、
錯覚資産(認知バイアスや運の運用)について知らないせいで「なんでアイツが出世するんだ…ぐぬぬ!」と悔しがったり、
恋愛についての知識不足で「非モテコミット全開!フレンドシップ戦略で好きな女の子にアプローチだ!」と玉砕してしまう。
”知っている”人から見たら
ヒモなしでバンジージャンプするのと変わらない現場を多々目撃することになるでしょう。
無事で済むことのほうが奇跡です。
現代では、50~60歳ぐらいになると、知的な活動を続けている人とそうでない人では、もうほとんど別の動物ともいえるかもしれません。
サルが様々な種類に分化したように、そろそろ人間もいくつかの種類に分化をしはじめているのかもしれませんね。